2008年5月3〜5日屋久島縦走

屋久島よくばり縦走
                                     5月3〜5日
                               記録 山口政敏
「参加者」
 CL :林田哲郎(47)    SL :折田 裕(53)    会計 :山崎欣治(60)
 VTR :西岡 勝(69)   テント設営 :市丸積男(53)  テント設営 :伊藤立巳(59)
 救護 :林田晃太郎(18)   記録 :山口政敏(43)  以上8名
【記録】
5月3日(土)の登山 〜憲法記念日    
0:15唐津駅北口で伊藤さん・西岡さんと合流。深夜の出発である。眠らずに今日の夜までに屋久島の新高塚小屋まで行く予定だが、きつい山になるかも知れない。西岡さんのご自宅は伊万里で、昨日JRの最終列車で唐津まで来られたが、22:45に到着して、1時間以上殆ど人気のない唐津駅構内で他の2人が来るのを待っておられたとのこと。
伊藤さんはもう来ておられ、早速彼の車に乗り込んだ。ザック重量の話をしたが、西岡さん13kg、伊藤さん16kgとのこと。私も自宅でパッキングしたとき最初16kgとなってしまったが、船井総一氏(『楽しい登山』の著者)の言葉に従い、食べ物の重量を減らすことで3kg軽い13kgにまで減量することができた。11kgで先週の「尺岳〜皿倉山」縦走に臨んだとき、不覚にも「ばて」てしまった苦い経験があるので、その後、トレーニングを行なってきたが、今回寝ずに屋(む)久島(こう)に到着し、そのまま急な道の続く見知らぬ山を7時間歩くということが、果たして叶うか、予断を許さない不透明な見通しである。
伊藤さんの運転で鏡古代の森へ移動。駐車場では、殆ど待つこともなく、山崎さん市丸さんも集合。間もなく林田さん父子が乗った8人乗りワゴンが駐車したので、皆荷物を移し変え、乗り込む。空は満天の星。予報では、3日・4日は概ね晴れ(ウェザーニュース社のピンポイント予報〜屋久島原生林)、5日から曇り一時雨であった。
0:58 市丸さんの運転で、林田さん(CL)のワゴン車発車。7名乗っていて、多久の折田裕さんの待合場所まで移動。林田さんが、車内で「計画書/最終稿」を配布される。
1:30 多久。折田さん乗車。今回のSL。 多久ICより高速道路に乗る。
2:34 浜名SA。トイレ休憩&運転手交代(市丸さん→山崎さん)。間もなく発車。
4:45 桜島SA。運転手交代(山崎さん→林田さん)。早朝の闇の中で、冬眠中の昆虫のように駐車して眠るキャンピング・カーが沢山見られた。行楽客たちの車がここでは駐車場一杯眠っている。ストレッチして身体を伸ばし、缶コーヒーを飲んだりして寛いだ。
4:58 料金所¥6,300。
5:07 鹿児島北ICより一般道に降りる。
5:13 ガストで朝食(私は玉子丼セット¥430)。参加費¥10,000の集金(山崎さん)。
ガストを出ると、隣のファミリーマートで本日の昼食(屋久島登山中に食べる)を、計画
通り購入。私はお握り3個と伊藤園の紙パック茶だけ買った。昼食にはこれで十分と思う。
6:03 車に乗り込み、発車。すっかり夜が明けた鹿児島市街地。
6:15 船着場で皆ザック類を下ろす。登山靴他、装備を装着。林田さんは車を駐車予定地に移動。残った我々は鹿児島商船トッピー待合場へゆく。乗船時間まで暇である。待合場に段々人々が集まり、溢れかえって行く。登山着と登山靴、ザックを持参したお客の姿も多く見られた。後で、林田さんも来て待たれる。
7:35 乗船案内のアナウンスがあり、移動して、白地に緑のデザインの水中翼船「トッピー2」に乗り込む。人の列に並んで移動するとき、真正面に桜島が聳え、朝陽がその手前の鹿児島湾をきらきらと眩しく輝かせている。新鮮で、印象的な風景に思った。
7:48 3分遅れて「トッピー2」発進。2階席右窓側が私のシート。からつ労山の他のメンバー7名も、大体近くに固まっている。輝く海。滑らかな海面。走る船。霞の中に薩摩富士(開聞岳)。
8:30 指宿港に寄港後、再度出港。
8:50 左手に大隈半島佐多岬(九州本土最南端)、通過。
「屋久島マナービデオ」が上映される。毎年20万人が屋久島を訪れ、6万人の登山客で賑わうのだとのこと。本日屋久島の平地での気温22℃。空は快晴である。
9:30 前方に巨大な島が広がり、聳えて近付いてくる。これが屋久島か...と思う。
9:47 宮之浦港着港。預けていた荷物を1Fで受け取り、下船。港に上陸すると、すぐに予約していた屋久島交通タクシーは見つかり、2台の黒いタクシーに4人ずつ乗り込み、一路「白谷雲水峡」へ向かう。舗装道をどんどん登り高度を上げてゆく。ヤクシマザルを3匹見かけた。花はサクラツツジが美しく咲いている。サクラツツジの名は、運転手さんが教えてくださったもの。                    
10:19 白谷雲水峡着。外に出るが、霧などはなく快適に晴れている。明るい日差しが周囲を照らしている。私の場合、ここに来るまでずっと「最悪の天候」をイメージしていたので、濃霧の中、雨に濡れながら秘境を歩くその趣をせめて味わおうと思っていたが、少し拍子抜けした。昨日までは降っていた様子。入山手続きをする。入山料¥300。橋を渡って、トイレ(小)も済ませる。
10:32 SLの折田さん先導で登山開始。途中、巨大な杉の木があり、朽ちた株の上からまた巨木が育ったという「二代杉」とのこと。
10:43 「さつき吊り橋」通過。涼風。沢の音。木漏れ日...。
11:06小休止。:09  出発。
「もののけ姫の森」通過。この辺りはずっとアニメーション映画『もののけ姫』に描写されている風景や動画そのままという感じがしていた。あの映画を作った人々は、この屋久島の鮮やかに苔むした樹木や沢の岩々、水の滴り、細かい木漏れ日の光線、渓流の音、霧の風景、雨、漆黒の闇夜、空想上の生物...などなどで、自然の魅力を殆ど余すことなく表現されているように感じた。私はもののけ姫の森で、彼ら映画スタッフが見落とした屋久島の自然の中に見られるエッセンスを探したいと願望していたが、なかなか思いは叶わなかった。可憐な子ヤクシカを目撃し、近くで怖がりもしない姿を見た(!)とき、それが叶ったと思った。あの映画に限らず、宮崎駿氏には、犬・猫・猿・イノシシ・馬にしても、動物の描写が日本のアニメに有り勝ちなすこし自然のものと違う、まんが的(コミック的?)な点を感じて不満だった(「ヤックル」という架空の哺乳動物の描写は好きで、気に入っている)。だが、殆ど彼らの仕事には脱帽なので、それ以上は言えない。沢山の友人たちの中の誰より、私は映画『もののけ姫』をすごく愛していたし、何ものにも変えがたいかけがえのない宝のようにして心の中で大事にしている。その後、森の中、辻峠までの急登を息を切らせて登って行った。ヤクシカは、子ヤクシカだけでなく成獣のヤクシカも何頭か見かけた。薄茶色の保護色なので、うっかり見落とすようなところがあったが、労山のメンバーに教えられて、幾つかの幸運(目撃)に恵まれた。
11:38 辻峠。荷物を置き、空身になる。ここから「太鼓岩」までピストン移動だ。先の予定もあるので急ぐ。
11:49 太鼓岩着。大展望。快晴。永田岳周辺の露出した岩々と、滝状の沢、宮之浦岳らし
いピークが見渡せ、地図と照らし合わせた。太鼓岩は表面の滑らかな巨岩で、スロープになった岩の途中に少し平たくなった場所があったので、頂上からそこまで降り、皆で集合写真を撮影。日差しが眩しい。間もなくまた辻峠へ向けて出発。
12:07 辻峠で昼食。林田さん作成の計画書では、昼食時間と場所が示してなかったが、柔軟な計画と思考・判断に「不立(ふりゅう)文字(もんじ)」という禅の言葉を思い出すが、大袈裟な連想をした。今日の昼食はお握り×3個、緑茶。天候に恵まれている。辻峠は森のようになっていて、木漏れ日と涼風が心地よい。他にも沢山の登山客たちがいて、休憩していた。ここまで来れば暫くは楠川分れまで主に下り道である。

写真
二本杉
もののけの森
太鼓岩の眺め(遠くに宮之浦岳、永田岳)




12:30 出発。この先で、先の小鹿を見かけた。全体に茶色っぽいグレー。生まれて1年経ったろうか?つぶらな目、おとなしく平和な印象。穏やかな仕草だった。人を怖がらないが、積極的に近寄ってくるということもない。いたいけな愛くるしい感じがした。栗色の綿のような体毛が風に細かく揺れていた。
13:00 楠川分れ。突然視界が開けて、こんな山の中にトロッコのレールが敷かれている。予定より30分余裕がある。ここからはレールに沿って穏やかな上り道で、比較的楽そうに感じたが、歩いて見るとその距離が長く、単調すぎて結構疲れる気がした。若い男女や外国人の姿も多く見かける。
13:33 レールの側に流れる沢で小休止。現代の日本の山岳風景にしては珍しいと思われるのは、若者の多いこと。外国人(特に痩せた白人たち〜彼らも比較的若く、英語ではない言葉を使う人々が多かった)も沢山見かけた。彼らはすれ違うとき、"Hi!"とか"Hello!"とは言わず、「コンニチハ〜」と言う。
13:45 出発。
14:13 大株歩道入り口。5分休憩。さて、ここからの登りが急である。楠川分れからのレールは向こうへ伸びているが、そこから外れ、右(北)側の急な山道を登らなくてはならない。近くに沢のある風景。多くの登山者が行き交い、休憩している。清々しい風景なのだが、私は少しげんなりしていた。林田さん作成の「計画書/第一稿」に、コース高度表が示してあり、ここまでの緩やかな道と裏腹に、ここから突然ハードな急登となっていたことを思い出していた。そして、「ここから先急峻な自然林の山道が」と書かれ、「急峻」の文字だけ赤で印刷されていた。「ばてること」が、今回の登山における私の第一の懸念事項だった。「ばて」とそこから来る「計画の遅延」だ。ここから「新高塚小屋」まで果たして計画どおりに到着できるか?ということが一番気にかかることだった。

写真
楠川別れ
トロッコ歩道
途中の渓谷
大株歩道入り口(若い人がたくさんいる。)




14:18 出発。
14:30 「翁杉」通過。巨大だが、周囲の木々も巨大で、この山域ではこれが「当たり前」であるような錯覚を覚える。『だってここは屋久島なのだから当たり前』というような感覚...。
14:45 ウィルソン株。写真でしか見たことのない巨大な杉の切り株で、中が空洞になっており、根の割れ目の入り口から入ると天井が抜けた建物のよう。10畳くらいの広さで、抜けた天井を仰ぎ見ると(あるいは上から下を眺めると)大きなハート型。隅に小さな神棚があり、お神酒が供えてあった。写真で撮影しても、至近距離になり、どんな場所か見当が付かないと思い、撮らなかった。空洞の内側に清水が流れており、手ですくって飲む。元気を貰った気がした。     
14:55出発。この後はずっと立体的な木製の階段が続く。
15:20水場で小休止。ブログ「一日の王」シリーズでも、また、実際にお話の中でもご自分のことを「岳人ではない」と言われる折田裕さんの脚の速いことに驚きだったし、自分の鍛え方の足りなさを感じた。他の皆もすごく歩くのが(登るのが)早いと思った。木製の階段はずっと続いている。
15:25 出発。
15:35 大王杉。大きすぎてカメラのファインダーに入らない。
15:40 夫婦杉。巨大な二本の杉の木が幹の上のほうで手をつないでいる。これも上手く撮影できない。
16:05 縄文杉。一番見たかった杉だ。以前は樹齢4000年と言われていたが、最近の遺伝子読解では2千数百年という結果が出たのだと誰かが言っていた。縄文杉は周囲に観望のための櫓と階段が作られ、撮影のためのスタンスも設置して看板で指定してある。大分離れた場所で見ることになるが、この大きさを写真に収めるのにはこの距離でも無理があると思った。
後から来られた林田さんが「脚がつった」と、少し休まれる。ゆっくり慎重にストレッチをされているが、両脚ともつり気味らしく、少し大変そうだ。ここから旧高塚小屋まで10分ほど。「旧高塚小屋で幕営」というのは、それでも明日の計画に負担が行くため、妥当ではないという空気が皆の中にあった。私も、このままぼちぼち行って大丈夫ではないか?という気がしていた。予定では縄文杉16:25着。少し飛ばしすぎたことによる弊害なのでは?とも思う。先頭からかなり遅れて登っても計画より大分早いタイムだ。心配だが、全員一致で計画通り「旧高塚小屋」を越えて1時間15分ほど登った場所にある「新高塚小屋」に向かうという方針となった。ぼちぼち行くしかないと思う。      
16:18 出発。
16:25 旧高塚小屋着。「小屋」というより「幕営場」というか、「幕営施設」というような印象。懸念していた場所(『ここに来る時間が18:00を超えた場合はここから先は進んではいけない』と判断していた)に計画よりも早く到着した...。すごい!いいぞ!!という感じである。天気は良好。涼しい微風が吹いている。
16:26 「旧高塚小屋」を越えると、大きなピークがあって、登って向こうへ出ないといけない。陽はまだ高いと自分に言い聞かせるが、光線が斜めに差し、太陽が山の西側に遮られ、空の輝きと後ろの渓谷から照り返してくる光を頼って歩く...という状況は、少々心細かった。それに、先頭から少し遅れめに歩き、前方に人影がなくなる。前に5人、後ろからは林田さんと西岡さんがさらに少しペースを落として来られているはず...何となく、大丈夫かな?という気持ちも少しあった。だが、歩くしかない。皆本当に歩くのが早いな...と思いながら、少し自分をせかすような気持ちで脚を進める。半分はもう必死である。自分でもよくこんな場所をこんなに早く歩けるな...と思っている。
17:23 「新高塚小屋」着!!。本日の最終目的地!!遂に来た!!ここもやはり「小屋」そのものより、周囲に設置してある板張りのスペースが特徴的だ。ここも、「幕営施設」という感じがした。多くの登山客たちが、もうテントも立てて、自分の場所をとっくの昔に見つけて車座になって食べたり、飲んだり、作ったり、いろいろと話に花が咲いたり...という感じ。天気もいいし、楽勝だね!!という雰囲気がした。
板張りの施設を回って奥へ進むと、からつ労山の皆がテント設営を半ば済ませて、微調整に四苦八苦していろいろ言っている。折田さんのモンベルのテント(今回のために購入されたドームテント1〜2人用)をはじめて見た。伊藤さんが運ばれた4人用ドームテントが、設営途中である。私はザックを下ろして、その4人用テントの隣を少し空けてもらい、20年以上前に購入したダンロップ・テントを設営した。
17:37 水場で水汲み。こんな高所にこんなに木々が大きく育ち、水も豊富にあるというのが不思議で、珍しかった。
17:40 西岡さんと林田さん到着。計画では「新高塚小屋」到着予定時刻17:50だ。遅れたように見えたのは錯覚で、先頭集団が相当なペースで縄文杉以降を頑張ったのだと解釈することにした。
すぐ近くにあるトイレのドアがばたんばたんとうるさいということで、折田さんと山崎さんの泊まる2人用テントは移動。3つのテントが横に並ぶような形になる。私のテントには西岡さんが入られるが、出入り口が2つあるのは便利だなと思った。
今回、2泊もテントに泊まるというトレイル・トリップは、計画を知った時すごい魅力に思った。私の登山の理想は「天幕自炊生活」だった。自分ではなかなか実現できないことが、林田さん、折田さんら、リーダーたちの強い力を得て、実現できた(あと1泊あるが〜〜しかも明日は今日より3.5時間長い10.5時間歩行の計画なのだが)ことが感謝だった。天候にも恵まれ、計画から段取りから、今までの日常の小さな発見や気付きが、この登山を成功させていた。「尺岳〜皿倉山」というコース(北九州の山)を歩いてみて、「ばて」る経験をしなかったら、その後の鏡山登山(トレーニング)もせず、この山でトラブルを起こしていたと思う。また、皿倉山で野崎さんのザックを見かけて、思い切って貸与をお願いして快諾を得たのも、凄い幸運だったと思う。私の普段使っているものより20〜30リットル分大きい「60リットル」ザックだったからこそ、この山行に参加できた。登山靴も重登山靴を使わず、合皮と化繊とゴムでできたウォーキング・シューズを雨の鏡山で試してみて使うことに決めてよかった。(?)
今回、食料、特に山岳行動中の食事のメニューはかなり細かく計画し、手帳に記しておいたものを確認しながら調理したり、食べたりした。山での食事は、基本的にはパンとサラミと水だけで十分なほどだ。また、ザック内の備品でザックの「減量」にもっとも手っ取り早いのは「食料を削れ」ということらしい(『登山教本』を書いた船井惣一氏の言)ので、メニューを決めた後、随分削ってきたが成功だった。メニューを決定する、家にいた母に相談したことで、時間と手間とを相当減らせたし、よいアイデアを沢山貰うことができた。あの時相談しておいて本当によかったと思うし、その後参考にした登山関係の書物も、本当にためになった。
今晩の献立は、バゲット(フランスパン)1本、パン用ペースト、ミニトマト(1/2パック)、サラミ1本。それに西岡さんから戴いた、「伊万里牛」を使用したインスタント合わせ味噌汁(「伊万里西岡醤油」製造)、林田さん提供の焼き鰯を頂き、最後に持参した玉子スープをお湯で作って食べた。私にはこれで満足感が十分にあった。
テントに入ったあと、西岡さんにお願いしてカットバンを分けていただいたが、目的は「靴擦れ」の解消(両脚の薬指)だったので、「靴擦れ防止テープ」を下さり、大変助かった。また、靴などテントの外に物を置くと、鹿や猿が持ってゆくと聞いて、ビニルに入れたものを中に入れ、結局この靴が一夜の枕になった(他、雨具のバックも枕に敷いた)。
19:30 就寝。休むころには吸汗・速乾性の下着とシャツ、ズボンだったので、汗でぐっしょり湿っていた衣服も、ほぼ完全に乾いていた。
 この夜、満天の星空が最高だったとのこと。林田さんの登山計画時、参加者を募るPRに、「飯ごうで飯を炊き、満天の星を眺める屋久島の夜...なんと贅沢な冒険だろう...」というような記事を書いておられたが、この日の夕食は「飯ごうの飯」を食され、「満天の星空」で、最高のことが実現している。「最悪に備え、最高を期待する」という精神で今後私も見習いたいと思った。「最高を期待しつつ、最悪に備える」〜"Hope for the best,and prepare for the worst"という順番を踏まず、まず「最悪」を優先にするところが私の誤りなのかも...。星空を見逃したが、この夜はいつになく深く、長く眠れてよかった。何の不安も心配もなく、ぐっすりと熟睡した。

写真
大株歩道
翁杉
ウイルソン株
大王杉
夫婦杉
集合写真
縄文杉2枚








5月4日(日)の登山〜みどりの日              
5:00 腕時計のアラームで起床。西岡さんを起こす。
テント撤収に向けて動き続ける。テントの中で朝食というのは望めないようだ。
5:35 テントの撤収完了。トイレに行く(小)。並んで待たなくてはならず、時間が大分経過した。心理的には余裕があった。トイレは「ぽっちゃん式」トイレだが、比較的(想像していたものよりはるかに)きれいだった。
5:45〜6:05 朝食。バゲット(1/2本)、パン用ペースト、チーズ、ミニトマト(1/2パック)、珈琲(コンロの熱湯で作り、クリームを入れた)。その後、出発が30分遅れる。皆がトイレを済ませてパッキングが終わるまでに時間がかかった。
6:45 出発。
7:00 「第一展望台」。屋久島の主峰永田岳(1,886m)と宮之浦岳(九州最高峰1,936m)と翁岳(1,860m)が見晴らせる場所。 間もなく出発。
7:18 「第二展望台」着。大岩の上の大展望。愛子岳、太鼓岩、宮之浦岳、永田岳、翁岳、口永良部島(くちのえらぶしま)に聳える古岳などが見える。一枚の写真には到底収まらない。連続撮影してつなぎ、パノラマにしても無理だ。登山客が沢山集い、朝食を摂っている人達もいた。涼。快晴。東の海が太陽光の反射で輝き渡っている。こんな偉大な風景が、こんなところで...という意外な感じがした。
7:35 異常に巨大な岩が、北方向に現れる。何かに例えることもできないほど。地図にある「ビャクシン岩(坊主岩)」というのが、これか? その後も、登りばかりが主に続いた。
8:01 ピークの岩峰に立つ。平石岩屋である。360度の展望は、何ものも視界を遮るものがない。西岡さんがばて気味でペースが落ちている。西岡さんのザックの荷物を他のメンバーに分散する。私のザックはゆとりがなく、私自身体力的に余裕がなかったので、荷は貰わなかった。
8:19 出発。
8:30 ピークを通過。険しい道のりに、山口少々消耗してきた。やる気がないような脱力感が出てきたようだ。西岡さんも遅れ気味で、最後尾のCL林田さんが様子を見ておられる。
8:45 焼野三叉路。右に行けば永田岳への道。直進すれば宮之浦岳という場所。小休止。暫くすると、西岡さんを追い越して林田さんが登って来られる。背の低い高山の植物の葉が周囲に繁っていて、背の高い樹木などはあまりない場所。しばらく西岡さんの到着を待つが、今朝から西岡さんは「永田岳は登らんで待っとりますから」と言われていたし、われわれはここで待ち続けないで早めに永田岳へピストン移動することにする。正面の宮之浦岳から来て平石の方角へ下る登山客さんに呼びかけて、「黄緑色の蛍光色の帽子を被った70歳くらいの男性がこちらに向かっているのですが、その方にこの三叉路を過ぎて宮之浦岳のほうにまっすぐ行くように言っていただけますか?」と、林田さんが頼まれる。「からつ労山」ということを言って、引き受けてもらった。さらに、林田さんの思い付きで、メモ帳を破って置手紙にし、伝言を書いて「西岡さんへ」と宛書をし、この三叉路の岩の上に小石で固定。 
8:55 西岡さんを除く7名で、永田岳へ出発。ザックはここに置いて、ペットボトルの水だけを持って、すぐ先に聳える白い岩山(永田岳)を目指す。私もばて気味だったが、頑張った。私の先に行く6名のメンバーの脚の速いことに、驚きを覚え、油断すると取り残されるような岩と砂と草と、水溜りも多い山道を、歩いて出せる限界に近い速度で先を急いだ。凄い!皆早い!!早すぎるほど...!!という感じだった。
9:30  永田岳登頂。大岩が本当に巨大で、人は蟻か何か、昆虫のようなサイズに感じる。地形が大きな造りをしていて錯覚を覚える。
永田岳ピークでは、巨岩が幾つかに分かれていて、林田さんの呼びかけで、記念に皆で集合写真に写る。セルフ・タイマーの10秒ではとても移動できないのでは?と思える場所にカメラを設置し、シャッターボタンを押して10秒で皆の場所へ来る軽業的な撮影。2枚。昨夕から鰯の干物を金網で焼いたり、飯ごうの飯を苦労して炊いたり、その他、許される範囲ぎりぎりまで自由(欲?)を伸張させる林田CLである。 :44 下山。
10:23 ザックを置いている焼野三叉路に再び到着。 途中、清水があり、水をペットボトル(500ml)に補給した。
10:38 ザックをそれぞれからい、7名出発。西岡さんへの伝言の紙は読まれた様子で、留めていた小石とともに拾われたようだ。

写真
第二展望台より宮之浦岳を望む
屋久杉(普通の杉より葉などが大きくてごわごわしている感じ。)
気持ちのよい登山道
永田岳
永田岳より宮之浦岳を望む
永田岳山頂にて集合写真







10:57 宮之浦岳山頂!!。1,936m。九州最高峰の山で、ここより高い場所はどこにもないのだ。西日本最高峰石鎚山(1,982m)には若干届かないが、九州本土最高峰くじゅう中岳(1,791m)を上回っている。こんな島に...と思うと同時に、わくわくする。肉体的には多少参っていた(登頂はとてもきつかった)とはいえ、凄いことだと思う。しかもこんなに晴れ渡り(多少雲は上空にあったが殆ど快晴)、そして涼しい微風が肌に心地よい。汗も引いてゆく。展望が上下前後左右に見渡す限り広がっている。
ここで、西岡勝さんが笑顔で私たちを待っておられたので、ほっとした。40分くらい待っていたと仰っていたが、メンバー8名が集合した。他にも沢山の登山客が山頂にいて、天辺にはしばらくして登った。案外しっかりした山頂で、どっしりとしてもろさは感じられない。やはり最先端は岩になっている。
11:12 下山。林田さんはもう少し山頂に留まって、私たちが暫く下ったころ、山頂から大声が響いてきた。曰く「宮之浦岳登頂!、万歳〜!!万歳〜!!万歳〜!!と林田さんの声。この島での2日連続晴れということの珍しさ・貴重さに、私も「万歳〜!!」の気分だった。また来たとき今回同様晴れる可能性は殆ど見込めないと思う。(?)
11:25 栗生(くりお)岳(だけ)通過。このピークから少し下ったところに、道の南側で日当たりの好い岩板の張り出した場所を見つけ、少し早い昼食TIME。上天気、涼風。ここで折田さんと隣り合わせたが、折田さんのブログ「一日の王」のことという私の感想)や、私の登山報告のことを少し話した。日誌を毎日付け「好いことだけ」を書いていくうちに、好いことしか起こらないようになる傾向に気が付いた話とか、折田さんのブログにリンクしている映画のあまりの怪奇さに恐怖したことなど。
 ここで、皆が話題にして盛り上がっていた若く可憐な単独登山客さん(山本理恵子さん?)が通りかかり、皆口々に感嘆して話しかけたり、励ましたり、ジョークを言ったりという現象が起こったので、不思議な気がした。この人とはこの日、前後して会った。
私の昼食のMENUは、バゲット、クロレラゴールド(殆ど「ヤクルト」と同じ容器と内容〜バゲットとものすごく相性がよかった)、ウィダー・イン・ゼリー、他。
12:05 出発。下山。
12:25 佐賀労山のメンバーとすれ違う。彼らは民宿を何ヶ所か利用して、いろいろな登山ルートからピークにアタックするような登山スタイルを取っているようだった。佐賀労山のメンバーには女性登山者が多かった。あまり長く話していたら、他の登山者に迷惑になるので、出会いを味わっている時間はあまりなかった。
12:30 下って登る一番低い場所で、少し小さな洞窟のようになった日陰の水場があり、ペットボトルに水を補給する。ここで水補給中、折田さんがうっかり、持参されていたデジタルカメラを水の中にまるごと落とされて、撮影機能が停止してしまうというハプニングがあった。その後どこまで回復したものかよく知らないが、痛ましかった。
12:50 小休止。大きな標識があり、『花(はな)ノ(の)江(え)河(ごう)まで1.8km 淀川(よどごう)小屋4.5km』とある。一方、『宮之浦岳2.0km 新高塚小屋5.5km』とある。半分来たことになるが、その前に「黒味岳」(ピストン登山)が控えている。私は宮之浦岳までのルートで相当参っていたが、永田岳を登ったときのことを、折田さんが「鍛えた分体力が付いて、いいペースだった」と私を誉められたのが意外で、『最後だし、皆と別行動というのもある意味危険だし、ここは奮発して頑張ってみるか』と、「黒味岳」に対して前向きになっていた。標識の休憩点も、日差しが強かったが、やはり変わらず涼風が心地よい。状況は大吉だ。
13:03 出発。
13:21 投石岩屋通過。
13:28 投石湿原通過。黒味岳と宮之浦岳の間に横たわる一番低くなった場所。これから登る黒味岳は見上げるほど高い所にある。山頂がやはり巨岩になっていて、頂上に立つ人影がゴマ粒ほどに小さく見えている。
13:40 小休止。水場で水補給する人、小便に行く人。 :49 出発。
13:55 黒味分岐。小休止。鬱蒼とした林の道。私はまだ余力があり、ここからはザックを置いて空身で登るし、「黒味岳登頂」を選んだが、西岡さんは黒味岳をパスし、ここから一足早く「花ノ江河」に向かい、さらに淀川小屋を目指して歩き、VTRスポットも押さえて撮影してゆくという選択をされた。
14:08 出発。7名は黒味分岐にザックを置いて、ペットボトルだけを持ち(尻ポケットに入れる)、急ぎ足で黒味岳山頂を目指す。皆すごい速さで行くので、「トレイルマラソン」か何かの競技をしているような気分だった。
14:24 大きな岩を巻いて登り、黒味岳登頂。海とその向こうの島が見え、天を突くような海上山岳とでも言いたいような姿をしている。後で調べたら、かねてから憬れる(しかしマムシと山ヒルがいると脅かされている)トカラ列島の山々だった。モッチョム岳の、登山者を拒んでいるかのように見える異常な角度で切り立つ崖も、南の方角に見えた。また、北側には今日歩いてきた永田岳、宮之浦岳、翁岳、安房岳(道が巻きピークには登れない)、投石岳が軒を連ねるようにして並んでいた。西の方角には火山島である口永良部島の鋭い峰が見える。
14:37 林田さんの音頭で万歳三唱して、下山開始。「からつ勤労者山岳会〜!!、万歳〜!!万歳〜!!万歳〜!!」と大声でやったのはケッサクで痛快だった。   
15:00 走るような勢いで空身の7名が山道を駆け下りてゆき、間もなく黒味分岐到着。ザックをからい、すぐに花ノ江河へ向けて出発!!
15:15 花ノ江河湿原に到着。小休止。ここは深い霧が立ちこめた幽玄の世界が人気を呼ぶ湿原地帯で、こんなにあっさり晴れ渡っていては、却って拍子抜けするような、くんちではない日に唐津山笠を「曳山展示場」から出して天日に干しているときのような、動物のいない、動物園の清掃日に出くわしたような、白々しさも感じた。蛙か両生類の卵が細長いゼリー状にとぐろを巻いて水の中にあったのが珍しく、写真に撮った。:20出発。
15:43 西岡勝さんに追い付く。花ノ江河から先は道があちこちに分岐して続いていたが、標識や、湿原上に設えられた板の歩道などかなり整備されていたので、路迷いの心配は取り越し苦労だった。
16:17澄み渡った川に橋が架けてある。「淀川(よどごう)」らしい。水は澄み切っていて、しばらく皆で眼を凝らして見ていたが、清浄すぎるこの川には魚は住んでいまいという話になった。アメンボのような昆虫がやっと1匹見えた。
16:20 その後間もなく沢の傍、杉林の中の「淀川小屋」に到着。小屋の外にテントが沢山設営されていたが、小屋を覗いたメンバーの一人が、「おっ!入れるっちゃなか?」と言い出し、入ってみるとまだ収容スペースが開いている。からつ労山の全8名は小屋のスペースに収まった。私は入り口付近の3〜4名用のスペースに、伊藤さんと市丸さんと3人で入り、荷を解く。他のメンバーも場所取りをした。その後、水を沢で汲んでくる。この小屋も旧高塚小屋、新高塚小屋同様、無人の小屋だが、私たちの他に、20〜30人ほどの収容スペースがあり場所をキープしてあった。 
調理用具を持って外に出て、落ちかけた陽の差す杉林の一角で、夕食会。林田さんがまた鰯を焼かれる。私はアルファ米「山菜飯」を作る(熱湯を注ぎ20分待つ)。アルファ米ができるまで、カップラーメンを食べた。ミニトマト1パック、珈琲、サラミ、キューリ。差し入れの焼酎(!)をお湯で割って飲み、鰯も頂いた。
市丸さんがイタリア人の若い女性が3人水着を着て淀川で泳いでいたと興奮気味に報告されたが、私は焼酎で少し酔っていて、小屋に戻ると淀川へは行かず、シュラーフにもぐり込んで、そのままぐったりと寝てしまった。明日の予定は6:00起床7:30出発である。                       
18:30就眠。

写真
黒味岳より宮之浦岳、永田岳を望む
淀川小屋の清流



5月5日(月)の登山〜こどもの日  下山・帰郷
4:00頃 小屋の外で雨音。ぱらぱら降ってきた。やがてまとまった量の雨の音。昨夕、山崎さんが「明日は雷雨てばい」と言われていたことを思い出している。その後、眠ったり起きたりして雨の音に耳を澄ましていた。
5:10 雨の中、キャップランプを点け、傘を差して離れのトイレ(小)にゆく。汚いトイレ〜というか、容量を超えて大小便がしてあるので、便器に便やトイレットペーパーなどがそのまま残っている。自然の呼び声には従うしかないので、口で息をしながら用を足した。小屋では、この時間に既に荷をからい、出発するパーティも結構いた。
5:40 トイレから戻ってまた寝ていたが、周囲は皆起きて荷づくろいを始めている。私もいつしか目が覚めてしまっていたので、起床。シュラーフをたたみ、傘を差して水汲みにゆく。昨日(新高塚小屋)もだったが、今回も寝ている間のどが渇き、一晩で500ml以上水補給した。一日中陽に焼けたせいもあると思う。  
5:55〜 6:30 朝食。雨がしのげるテラスが小屋の外にあり、コンロを使って湯を沸かす。湯でアルファ米を作ったが、バゲットがあったので、結局ライスは相当余った。チーズ、ミニトマト、珈琲。 
7:10 パッキング&雨具の装着完了。外を見ると、殆どテントは撤収して出発したあとである。見ると、テントのスペースは殆ど水溜りになっている。小屋が開いていて本当に運がよかった。この雨の中、テント撤収・朝食・パッキング、となっていたら相当悲惨だった。しかも、せっかく来た屋久島で、秘境の雨も経験できたことは、本当に収穫だったと思う。「屋久島の雨」を喜ぶメンバーは多かった。
7:30 出発。「淀川登山口」まで雨の中わずか40分ほど。トイレもそこにあるので、悲惨な淀川小屋のトイレは使わずに我慢する人もいた。雨の中、木の根が道に張りめぐっているので、踏んで滑らないように注意しつつ歩く。どんどん飛ばすので、「どうぞ」「どうぞ」と、前を歩く人々が道を譲ってくださることが多かった。最後にまずかったと思ったのは、私の場合登山靴でもトレッキング・シューズでもないスニーカーを発展させた「ハイキング・シューズ」とでも呼ぶべきか、本格的ではないシューズを履いていたのだが、防水・撥水機能がひどく落ちていて、来る前にスプレーでしっかり防水したはずなのに、水溜りを踏んだときすぐに内側に浸水してきて、簡単に、靴下で3重に包んだ足がじっとりと水浸しになり、不快だったことだ。
8:03 アスファルトの道に出る。「淀川登山口」である。大きな案内板がある。われわれはここから歩いて30〜40分の位置にある「紀元杉」まで行き、タクシー2台を使って安房まで一気に下る計画だった。タクシーは9:30に予約しているが、このままだと早く着いてしまう。紀元杉周辺は雨宿りできないと登山客さんが言っていたので、しばらくここで時間をつぶし、雨をしのいだ。案内板のそばに若くて美しい女性登山客さんが2人いたので、話しかけるメンバーもいた。一方は福岡県からの登山客さんだった。私は靴の中がずぶずぶに濡れていたので、少し憂うつだった。
8:30 出発。アスファルトの舗装道を歩きながら、林田晃太郎君と少し話した。現在九州大学(理学部物理学科)1年生とのこと。九大理学部は憧れの学部だったので、すごく嬉しかった。晃太郎君とは、彼と同級生のT.K君の話(唐津ビジネスカレッジで毎月開催される「からつ塾」講義に高校在学中からずっと出席されている)をした。あまり喋ると「阿呆な発言」をしてしまうかもしれず、口元を引き締めて、軽蔑されないように注意した。
8:43 「川上杉」という巨大な杉の木で、少し時間をつぶす。その後、2頭のヤクシカ(つがいかも知れない)がいて、撮影した。
9:05 紀元杉バス停着。早くから待っておられたらしい屋久島交通タクシーが間もなく移動してきて、もう1台と一緒に駐車している場所に案内された。ラッキーだ。
9:10 タクシー駐車場所に移動。後部トランクにザック類を収納してもらい、時間に余裕があったので、道路脇の階段を下りて「紀元杉」を見にいった。
9:18 タクシー2台に乗り込む。間もなく発車。運転手さんが屋久島にまつわるいろいろな話をされた。どんどん下ってゆくが、相当なスピードで移動したのに安房到着まで40分も乗っていた。ガスに隠れた山の中腹から上はまだ雨だろうか?下界に移動すると、曇り空で雨はやんでいる。
10:00 安房着。「武田産業」というお土産施設前で降ろしてもらう。安房港はすぐ傍だが、 13:30出港までまだ大分ある。労山のメンバーは雨具やスパッツをザックに収納したら、お土産店で買い物をした。私は特に母の長寿を願っての「屋久杉の箸」、妹の喜びそうな写真はがき、お土産としてNo.1の人気らしい(タクシーの運転手さん言)「さば節」などをねらい、佳いものを探した。奮発して「屋久島パッションワイン」も購入。店の奥の空間に人があまり行かないが、屋久杉で制作された工芸品(箪笥や木像、テーブル、置物など)も見て楽しむ。麦茶をもらった。
11:00 安房港船着場へ移動。船の待合所にザックを置き、出港時刻・アナウンスの時間(13:30発の臨時便が出ている。13:10ころ乗船のアナウンスがある)を確認し、その後外に出てうどん、そばの定食などを近くの食堂で食べた。このとき、折田さんが、私が時々会報に投稿する登山手記を大変よく誉められたので、帰郷後、これを書いた。折田さんのブログなどを見ると及びも付かない(表現や発想の鮮やかさなど)が、これを読んでくださった方には深謝します。
「記」
その後、鹿児島商船の水中翼船「トッピー2」(臨時便は満席で200〜250人くらい乗っている)で鹿児島港に2時間で移動。上陸後は車を駐車している場所まで歩き(GWの鹿児島港付近は大勢の人々が遊びにきており、賑やかだった)、温泉に入り、服を着替え(着替えと履き替え用靴は持参したものを車に置いていた)、リラックスして帰路に着いた。林田さん、伊藤さん、折田さん、山崎さんが、交代に運転。22:07 多久〜折田さん降りられる。
 
22:16鏡古代の森駐車場。皆とお別れ。
22:25伊藤さんに家の前まで送っていただく。
22:27宅着。

写真
紀元杉の前で今度の縦走の最後を祝う。
九州最西端 佐多岬